
病気になったら仕事は続けられない?治療か仕事かの二択でないという考え方
「このまま仕事を続けられるだろうか。」
病気と診断された瞬間、頭の中を一番先に占めるのはこの一言だったりします。治療のことより先に、こっちが来る人も実は結構多い。
がんや糖尿病のような身体の病気だけの話じゃありません。うつ病、適応障害、不安症といったメンタルヘルスの不調でも、「仕事、どうなるんだろう」「職場に迷惑かけちゃうな」と、頭の中でぐるぐる考え続けてしまう方に、僕はこの仕事を通してたくさん出会ってきました。
治療そのものだけでも十分しんどいのに、そこに仕事や収入、この先の生活まで乗っかってくる。心のキャパシティって、本当にあっという間に埋まってしまうんです。コップの水が縁までいっぱいで、あと一滴で溢れる、あの感じ。
精神科の現場で臨床心理士・公認心理師として働いていると、「もう辞めるしかないですよね」と、最初からそう言い切って相談室に来られる方に、時々お会いします。
ただ、じっくり話を伺っていくと、本当に「辞めたい」と願っているというより、「どうすればいいのか分からない」という不安に押しつぶされかけている、というケースのほうがずっと多い印象です。辞めたいんじゃなくて、他に道が見えないだけ、というか。
病気になると、私たちはつい「治療を優先するか」「仕事を続けるか」という二択で考えてしまいがちです。
でも、本当に選択肢はその二つしかないんでしょうか。僕はそうは思っていません。
不安が大きいときほど、視野は狭くなりやすい
心理学の世界では、強いストレスや不安を抱えているとき、人は物事を柔軟に考えることが難しくなる、ということが分かっています。
普段の自分なら「まあ、こういう手もあるか」と思いつくようなことでも、不安のただ中にいると、
「辞めるしかない」
「迷惑をかけるくらいなら、我慢して働こう」
というふうに、両極端な結論にすぐ飛びついてしまう。
視野がぎゅっと狭くなって、まるでトンネルの中を歩いているみたいに、出口の光しか見えなくなるんです。手前にある脇道には、気づく余裕すらなくなってしまう。
これ、意志が弱いからじゃありません。むしろ真面目な人ほど陥りやすいものです。
病気になったという事実だけでも相当なストレスなのに、そこに「仕事」「生活」「収入」という重たいテーマが一気に押し寄せてくる。
頭がいっぱいになるのは、ある意味当然の反応なんですよね。
不安というのは本来、危険から身を守るための機能ですから、強く働きすぎているだけとも言えます。
だからこそ、病気になった直後ほど、大きな決断を急がないことが大切です。
トンネルを抜けてから、脇道を探しても遅くはありません。
「辞めるしかない」と思っていた山田(仮)さん
※プライバシーに配慮し、事例は一部変更しています。
40代の山田さんが適応障害の診断を受けて、初めて相談室に来られたときの第一声は、今でも覚えています。
「もう仕事を辞めるしかないですよね。」
有無を言わせない、決めつけるような口調でした。理由を伺うと、「職場に迷惑をかけてしまう」「これ以上休めない」「以前のように働けない自分には価値がない気がする」と、自分をひたすら責め続けている状態でした。
こういうとき、僕は「そんなことないですよ」とはあまり言いません。
まずは、そう感じるくらい追い詰められてきた経緯を、一緒にたどっていく。
どんなきっかけで「辞めるしかない」と思うようになったのか、何があってそこまで自分を責めるようになったのか。
急いで励ますより、まずそこを聞かせてもらうことのほうが、たいてい先なんです。
話を整理していくと、実は会社には業務内容を調整できる制度があり、主治医も「働き方を見直せば、続けられる可能性がありますよ」という見立てでした。山田さん自身、そのことにまだ気づいていなかっただけだったんです。
山田さんは会社と相談し、業務量を減らしながら通院を続けることになりました。
体調には波がありましたが、「辞める」か「我慢する」しかないと思い込んでいた頃と比べると、表情は少しずつ、本当に少しずつですが、柔らかくなっていきました。
もちろん、すべての方が同じように働き続けられるわけではありません。
それでも、「第三の選択肢」があると知れたこと自体が、山田さんにとっては大きな意味を持っていたようです。
身体の病気でも、同じような悩みがあります
こうした悩みは、メンタルヘルスの不調に限った話ではありません。
がんの治療を受けながら働いている方、糖尿病で定期的な通院が欠かせない方、慢性的な痛みや肝臓の病気を抱えている方からも、
「以前と同じようには働けないかもしれない」
「職場に迷惑をかけてしまう」
「退職したほうがいいんじゃないか」
という声を、僕は同じくらいの重みで聞いてきました。
病気の種類は違っても、「働くこと」への不安には、驚くほど共通点が多いんですよね。
だからこそ、「治療」か「仕事」かという二択ではなく、「どうすれば治療を続けながら働けるだろう」という視点に切り替えることが大切なんです。
近年では、こうした考え方を支える「治療と仕事の両立支援」という取り組みも、少しずつ社会に広がってきています。
これは「働く」か「休む」かを決めるための支援ではありません。その人の病状や仕事内容、生活の状況に合わせて、無理のない働き方を、医療機関と職場が一緒に考えていくための支援です。
参考:労働者(患者)の方へ|治療と仕事の両立支援ナビ https://chiryoutoshigoto.mhlw.go.jp/forsubject/
「治療と仕事の両立支援」では、どんなことをするのでしょうか
「両立支援」と聞くと、なんだか大がかりな特別な制度のように感じるかもしれません。
でも実際には、「仕事を辞めるかどうか」を決めるための支援ではなくて、治療を続けながらその人らしく働く方法を、一緒に考えていくための仕組みです。作戦会議みたいなものだと思ってもらえると、イメージしやすいかもしれません。
たとえば、
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通院日に合わせて勤務時間を調整できないか
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一時的に業務内容を変更できないか
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時短勤務や在宅勤務を活用できないか
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休職が必要な場合、どのくらいの期間が適切か
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復職するときは、どんなペースなら無理が少ないか
こういったことを、一人で抱え込むのではなく、医療機関と職場が情報を共有しながら、その人に合った形を探っていきます。
もちろん、すべての職場で同じような対応ができるとは限りません。それでも、「辞める」か「我慢する」しかないと思い込んでいた人にとって、働き方を調整するという選択肢があると知ること自体が、大きな安心につながることがあります。
参考:治療と就業の両立支援指針(参考資料との統合版)|治療と仕事の両立支援ナビ https://chiryoutoshigoto.mhlw.go.jp/files/pdf/support_guideline_full.pdf
「迷惑をかけたくない」が相談を遠ざけてしまう
精神科でお話を伺っていると、本当に多くの方の口から出てくる言葉があります。
「みんなに迷惑をかけたくないんです。」
責任感が強い人ほど、自分が休むことで同僚に負担がかかることを気にします。
「こんなことで相談していいんだろうか」
「甘えてると思われないだろうか」
そんな気持ちから一人で抱え込んで、体調が悪化するギリギリまで我慢してしまう方も、少なくありません。真面目な人ほど、そうなりやすい。本当によく見る光景です。
でも大切なのは、「限界まで頑張ること」ではなくて、「長く働き続けられる方法」を考えることなんですよね。
相談するということは、誰かに迷惑をかけることじゃありません。自分の体調や働き方について話し合うこと自体が、自分自身を守るだけでなく、結果として職場にとっても無理のない働き方につながることがあります。
安全基地があるからこそ、外の世界に挑戦できる。子どもが親という土台があるから外へ冒険に出られるように、大人にとっても、安心して相談できる相手や場所があることは、前に進むための土台になるんです。
両立支援を利用したいと思ったら
実際の現場の話をすると、通院されている方が「これ、書いてもらえますか」と、会社から渡された書類をそのまま持って来られることが、わりとよくあります。
多くの場合、それは「勤務情報提供書」と呼ばれる書類です。
会社の側が、本人の業務内容や労働時間、負担になっていることなどを整理して、主治医に伝えるための書類ですね。
それを受け取った主治医が、「主治医意見書」という形で、今の状態で就業を続けられそうか、どんな配慮があるとよさそうかを、医学的な視点から会社へ返していく。これが、両立支援の実務としての入り口になっていることが、実はとても多いんです(最近は「両立支援カード」という、もう少し簡易な様式が使われることもあります)。
特にうつ病や適応障害など、もともと心療内科や精神科に通院されている方の場合、この流れはすごく自然なものになります。すでに主治医との関係ができているわけですから、わざわざ新しい窓口を探しに行かなくても、「いつもの診察の中で」相談を始められる。
これって、案外大きな安心材料だったりするんですよね。
もし今、会社から両立支援に関する書類を渡されていたり、「主治医と相談してみて」と言われているようでしたら、次の診察のときに、遠慮なくそのまま持ってきてください——とお伝えしたいです。
予約の電話やメールで、「両立支援の書類について相談したい」と一言添えていただけると、こちらとしても準備がしやすくなります。
診察の中では、
「今、仕事のどんなところが負担になっていますか」
「どのくらいなら、今の状態で無理なくできそうでしょうか」
「休むとしたら、どのくらいの期間が現実的でしょうか」
といったことを、一緒に整理していきます。書類を仕上げること自体がゴールというより、今の自分にとって無理のない働き方を、主治医と一緒に考え直すきっかけにしてもらえたら、というのが本音です。
もちろん、職場によって対応できる幅は違いますし、必要に応じて産業医や人事担当者との連携が必要になる場合もあります。それでも、まずは「いつも通っているクリニックで、両立支援の相談ができる」ということを知っておくだけで、動き出しやすさはずいぶん変わってくるはずです。
参考:参考資料(様式例など)|治療と仕事の両立支援ナビ https://chiryoutoshigoto.mhlw.go.jp/useful/download/
おわりに
病気になると、「治療を優先するか」「仕事を続けるか」という二択に思えてしまうことがあります。
でも、その間には、働き方を調整する、周囲に相談する、支援を利用するといった、実にさまざまな選択肢があります。
もちろん、休職して治療に専念することが必要な時期もあるでしょう。それは決して「失敗」ではありません。
一方で、「仕事を辞めるしかない」と結論を急ぐ前に、「治療と仕事を両立する」という考え方があることを知っておく。それだけで、この先の選択肢はぐっと広がります。
病気があっても、自分らしく働き続けられる道は、一つじゃない。
一人で抱え込まず、必要な支援を活用しながら、自分に合った働き方を、焦らず探していきましょう。回復とは、問題がゼロになることじゃありません。「なんとかできそうです」と思えること。それで十分なんです。
もし今、「仕事を続けられるだろうか」と悩んでいるなら、その答えを一人で探そうとしなくても大丈夫です。
あなたの周りには、治療と仕事の両立を一緒に考えてくれる人や支援があります。その存在を知ることが、安心して未来を考える第一歩になるかもしれません。
参考:治療と仕事の両立支援ナビ(トップページ)|厚生労働省 https://chiryoutoshigoto.mhlw.go.jp/
歴史的に両立支援ということについては・・・
2006年頃~
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がん対策が国の重要課題となり、「治療しながら働く」という考え方が広がり始めました。
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メンタルヘルス対策も徐々に進みました。
日本全体としては2016年頃から両立支援が制度として本格的に普及し始め、2020年代に入ってさらに一般的になってきたと考えるのが妥当でしょう。
両立支援コーディネーターの資格を私はもっていますが、臨床現場で患者さんに説明するとすれば、
「昔は病気になると退職するしかないという雰囲気もありましたが、今は国も『治療しながら働き続ける』ことを後押ししています。もちろん会社によって差はありますが、必要な配慮について相談しやすい時代になってきています。」
と伝えていきたいです。
エビデンスとしては厚生労働省の「労働者の心の健康の保持増進のための指針」というものがあります。
大昔のように自己管理だけではないのです。ぜひ制度を用いて相談していただくと今後の在り方の未来が開けると思います。
こうした「治療しながら働く」という考え方は、近年、制度面でも後押しされています。2026年4月1日からは、労働施策総合推進法第27条の3により、事業者に対して治療中の労働者への相談体制の整備などが努力義務となりました。病気になったからといって仕事を諦めるのではなく、必要な配慮を受けながら働き続けられる社会を目指す流れが広がっています。
参考文献
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