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『頑張るしかない』と思ったとき、人は選択肢を見失いやすい」|心理的柔軟性という心の力
執筆者アイコン佐々木いちなり2026年7月7日 23:07

『頑張るしかない』と思ったとき、人は選択肢を見失いやすい」|心理的柔軟性という心の力

「頑張るしかない」——そう思う瞬間、実は選択肢そのものが見えなくなっているだけかもしれません。臨床心理士として20年近く相談室で見てきた事例をもとに、ストレスが心理的柔軟性を奪っていくプロセスと、そこから少しずつ選択肢を取り戻す方法を、ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)の視点からお伝えします。

「先生、もう頑張るしかないんです。」

相談室の椅子に、体ごと沈み込むようにして、その方はそう言った。仮名で林田さんとしておく。育児と仕事を一人で回しながら、その日の面接でぽつりとこぼした言葉だった。表情は「疲れている」というより、どこかピントが合っていない感じ。目の焦点が、少し遠くにあるような。

頑張るしかない——。

この仕事を20年近くやっていると、似たような言葉を数えきれないくらい聞いてきた。心理職として精神科病院やクリニック、復職支援の現場を回ってきた中でもそうだし、実を言うと、心理職になる前、昔の話ですが・・・——水商売やバーテンダーをしていた時代にも、カウンターの向こうでよく聞いた言葉だった。人生相談というのは、案外オフィスの中よりもバーカウンターの方で多く起きているものだ。

言い回しは人それぞれ違っても、「もうこれしかない」「他に道がない」という状態で相談室のドアを開ける人は、本当に多い。

正直に言うと、僕はこの言葉自体を否定したいわけじゃない。頑張ること自体は、めっちゃすごいことだと思ってる。誰でもできることじゃない。問題は、「それしか見えなくなっていること」の方なんですよね。視界が狭まって、選択肢そのものが消えてしまう。これがしんどい。

なぜそうなるのか。どうすれば、選択肢を取り戻せるのか。

心理学の世界には、そのヒントになる言葉として「心理的柔軟性」というものがある。ちょっと硬い響きの言葉だけど、中身は意外とシンプルで、しかも日常のあちこちに顔を出す感覚だったりする。

この記事では、「頑張るしかない」というとき心の中で何が起きているのかを一緒に確認しながら、心理的柔軟性とは何か、そしてそれをどう少しずつ取り戻していけるかを考えていきたい。教科書的な解説よりも、「読んでたら、なんか少し肩の力が抜けた」と思ってもらえる記事を目指すつもりです。少し長いけど、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。


「頑張るしかない」と思うとき、人の心では何が起きているのか

最初にひとつだけ、はっきりさせておきたいことがある。

「頑張るしかない」と思うのは、意志が弱いからでも、性格に問題があるからでもない。

強いストレスが続くと、人の思考は自然と狭くなっていくと言われている。これは一種の防衛反応で、「今は余計なことを考えている場合じゃない」という、脳なりの緊急判断のようなものらしい。不安というのは、いわば火災報知器みたいなものだ。危険を知らせるために、ちゃんと仕事をしてくれている。ただ、鳴りっぱなしになると、さすがに参ってしまう。

こうした状態については、厚生労働省のメンタルヘルス・ポータルサイト「こころの耳」でも、心理的な視野狭窄によって悲観的な発想しか浮かばなくなり、それしか道がないように感じてしまうことがあると説明されている(参考:こころの耳「ご家族にできること」 https://kokoro.mhlw.go.jp/families )。「他の方法が浮かばない」という状態は、根性や努力の問題ではなく、脳と心そのものが疲れているサインである可能性がある、ということだけは、まず覚えておいてほしい。

林田さんの話に戻ると、彼女は「選択肢がないから頑張るしかない」と思い込んでいた。でも実際は、「疲れすぎて選択肢が見えなくなっていた」のだと、面接の場面で見えてきた。それに気づいた瞬間、林田さんは少し泣いた。「弱かったんじゃなくて、疲れてただけだったんですね」って。この言葉、今も僕の中に残ってます。

「しかない」は弱さの証拠じゃない。心が疲れているサインかもしれない——まずはそこから始めてみたい。


人はどうやって心理的柔軟性を失っていくのか

「頑張るしかない」という状態は、ある日突然やってくるわけじゃない。気づかないうちに少しずつ積み重なって、ふと気づいたらそこに立っている、という感覚に近い。

臨床の現場で見てきた中で、いくつかパターンがあるように感じている。

強いストレスが続いたとき

疲労が積み重なると、人は「考えること」そのものが苦しくなっていく。

仮名で山川さん、40代男性。管理職として10年以上働いてきた方だった。「最近、何も考えられなくなってきたんです」と相談室に来られた。「部下への指示も家族との会話も、なんとなくこなしてるだけで、自分がどうしたいのか全然わからない。ロボットになった気分です」——この言葉が、今も印象に残っている。

こういう状態は、慢性疲労によって思考の処理能力そのものが落ちている可能性がある。「選択肢を考える」という作業にも、実はけっこうなエネルギーがいる。そのエネルギーが底をつくと、人は「一番省エネな答え」——つまり「頑張るしかない」「続けるしかない」を選び続けるようになると言われている。

山川さんとは2週1回のペースで面接を重ねながら、少しずつ「自分がどうしたいか」を言葉にする練習をした。最初の2、3ヶ月は「わからない」しか出てこなかった。面接中に沈黙が続くこともあって、正直こちらも「今日は何も進まなかったな」と感じる日もあった。でも半年ほど経ったある日、「久しぶりに、自分で何か決めた気がします」と笑った。決めたのは「今日は早く帰る」という、それだけのことだった。それでも、本人にとってはかなり大きな一歩だったんじゃないかと思っている。

「失敗できない」と思い詰めたとき

完璧を目指すこと自体は、悪いことじゃない。高い基準を持つことで仕事の質が上がることもあるし、それが自信の土台になることもある。ただ「失敗できない」という感覚が強くなりすぎると、行動のパターンがどんどん固まっていく。

相談しない。頼らない。休まない。

「相談したら弱く見られる」「頼ったら迷惑をかける」「休んだら取り残される」——そんな思い込みが、人を一人ぼっちの努力の中に閉じ込めていく。

星野さん(仮名)は20代の女性で、転職して間もない時期に相談に来た。新しい職場でのプレッシャーから「ミスは絶対にできない」と自分に言い聞かせていたそうだ。結果として、わからないことを聞けず、確認もできず、仕事がどんどん空回りしていった。

最終的にミスをしてしまったとき、彼女は「やっぱり私はダメだった」と感じたという。でも面接の中で少しずつ整理していくうちに、こんなことを話してくれた。「失敗したら終わりだと思ってたんです。でも実際に一番困ったのは、失敗そのものじゃなくて、相談できなかったことでした」。

この言葉、けっこう核心を突いてると思う。「失敗できない」という緊張が、むしろ本当の失敗を引き寄せてしまうことがある。心理的柔軟性の低下が、現実の結果にまで影響した、わりと典型的なケースじゃないかと感じている。

一人で抱え込み続けたとき

誰にも話せない状態が続くと、思考の中に他人の視点が入ってこなくなる。

一人だけの思考は、どうしても偏る。「これしかない」「こうするしかない」という結論に向かって、同じ道をぐるぐる歩き続けてしまう。

相談できる相手がいれば、「それ以外の方法もあるんじゃない?」という一言がふと入ってくる。でも一人だと、その一言がない。その一言がないまま、何週間も何ヶ月も過ごしてしまう——それが「頑張るしかない」という状態をじわじわ深めていくことがある。

臨床の現場では、「一人で抱えすぎている人ほど視野が狭くなりやすい」という印象を持っている。もちろん例外もあるけど、話すことで問題が整理される、という経験を持つ人は多いんじゃないだろうか。話の内容自体が解決しなくても、話すこと自体に意味がある——そう感じることは、正直かなり多い。

安全基地を失ったとき

「安全基地」という言葉は、もともとイギリスの精神科医ジョン・ボウルビィが提唱した愛着理論に由来する概念だ(。もともとは子どもと養育者の関係を説明するための言葉だけど、大人になってからも「ここに戻れば大丈夫」と思える場所や人が必要だと言われている。

安全基地というのは、子どもが冒険から帰ってくる「家」のようなものだと思っている。ただ休む場所というだけじゃなく、「また外に出てみようかな」と思わせてくれる場所。大人にとっても、それは同じなんじゃないかと感じることが多い。

安全基地は、ただ「安心できる場所」というだけじゃないのかもしれない。それはたぶん同時に、「選択肢を思い出させてくれる存在」でもある——臨床の現場で、ずっとそう感じてきた。

「先生に話すと、なぜか別の方法が浮かんでくるんですよね」と言った方がいた。「先生が何か教えてくれるわけじゃないんですけど……」と、不思議そうに続けていた。それはたぶん、話す相手がいることで、思考の中に「外の空気」が入ってくるからなんだと思う。安全基地は、答えをくれる場所じゃなく、自分で答えを見つける力を取り戻せる場所——そう考えると、少しイメージしやすいかもしれない。

安全基地を失ったとき、人は「頑張るしかない」と自分に言い聞かせながら、それでも前に進もうとする。その姿は、正直めちゃくちゃすごいと思う。でも同時に、それだけ追い詰められているサインでもある。その両方を、ちゃんと見てあげてほしいなと思っている。


心理的柔軟性とは「選択肢を取り戻す力」

ここで改めて、心理的柔軟性について整理しておきたい。

心理的柔軟性とは、「状況に応じて、自分の行動を選び直せる力」と説明されることが多い。仕事の場面における心理的柔軟性とメンタルヘルス・パフォーマンスとの関連についても、日本国内で研究が進められている(参考:「仕事における心理的柔軟性とメンタルヘルスおよびパフォーマンスとの関連」認知行動療法研究 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jabctc/44/0/44_286/_article/-char/ja )。

よく「ポジティブ思考になること」と混同されるけど、それとは少し違う。むしろ「ネガティブな感情があっても、それに飲み込まれずに行動できる」ことを指していると言われている。つらいとき、苦しいとき、その感情を「なかったこと」にするんじゃなく、「あってもいい」と認めながら、それでも自分にできることを選んでいく——そんなイメージに近い。

この概念は、ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)という心理療法の中心にある考え方でもある。日本でも近年、職場のメンタルヘルス支援や教育現場など、いろんな場所で取り入れられてきているようだ。

ただ、一番伝えたいのはここ。

心理的柔軟性は「我慢する力」じゃない。

「つらくても耐える」「感情を抑える」「もっと前向きになれ」——そういう話じゃないんですよね。「今、自分にどんな選択肢があるか」を、少し立ち止まって考えられる状態のこと。

言い換えれば、「頑張るしかない」から「頑張ることもできるし、他の方法もあるかもしれない」という感覚に少しでも動けること——それが心理的柔軟性なんじゃないかと思っている。

難しく感じるかもしれない。でも、これは練習できると言われている。生まれつきの性格や才能じゃなく、日常の中で育てていけるものだという点が、個人的にはかなり大事なことだと感じている。


「頑張るしかない」と思った日に試してほしいこと

じゃあ、実際どうすればいいのか。相談室で伝えてきたことをいくつか紹介したい。

「しかない」を「他には?」に変えてみる

まず試してほしいのは、「頑張るしかない」という言葉を口に出してみて、そのあとに「……他には?」と続けてみること。

答えが出なくてもいい。「他にないな」と思っても、それでいい。ただ、この「他には?」という問いを自分に投げかけること自体が、少しずつ視野を広げるきっかけになることがある。

Aさんは、この習慣を寝る前に毎晩試してみたそうだ。最初の数日は「他にないな」しか出てこなかった。それでも続けた。2週間ほど経ったある日、「ちょっと待てよ、これって本当に私がやらなきゃいけないの?」という問いが、ふと浮かんできたという。それが、状況を変える小さな一歩になった。

一人で考え続けない

「考えること」が苦しくなったとき、もっと考えようとするのは、実は逆効果になることがある。考えれば考えるほど、同じ結論に戻ってしまう——そういう経験、ありませんか。

そんなときは、誰かに「今、こんなことを考えてる」と話してみる。解決策を求めなくていい。答えをもらおうとしなくていい。声に出すことで、思考の流れが変わることがある。

安全基地だと思える人に、話してみる

安全基地は、特別な存在じゃなくていい。話すと少し楽になる人、なぜか整理できる気がする相手——それが安全基地だ。

家族でも、友人でも、信頼できる職場の先輩でも。あるいは、専門の相談窓口でもいい。よりそいホットライン(0120-279-338、24時間・無料)のような窓口も、「どこに話せばいいかわからない」というときの入り口として使える。

「正しい答えをくれる相手」を探すより、「話せる相手」を持つことの方がずっと大事だと、今は思っている。

完璧ではなく「十分」を目指す

「失敗できない」という緊張は、少しずつほぐしていける。

そのための考え方のひとつが、「完璧ではなく十分を目指す」というもの。「完璧にやりたい」という気持ちを否定するわけじゃなく、「今日この状況では、これで十分だ」と自分に許可を出す練習に近い。

最初はかなり難しく感じる人が多い。でも続けていくと、「十分」の感覚が少しずつ現実的になっていく。そして「十分」ができたとき、「他の方法もあるかもしれない」という思考が少しだけ戻ってくる——そういうケースを、何度か見てきた。Cさんも、この練習が一番効いたと後に話してくれた。


まとめ

「頑張るしかない。」

そう思う日は、あなたが弱い日ではありません。

それだけ心が疲れ、選択肢が見えにくくなっている日なのかもしれません。

心理的柔軟性とは、前向きになることでも、我慢することでもない。「他の選択肢もあるかもしれない」と思い出せる力のことだと、僕は理解しています。

もし今日、「頑張るしかない」と感じているなら、自分にひとつだけ問いかけてみてください。

「本当に、これしか方法はないだろうか。」

その問いから、新しい一歩が始まることがあります。

「『しかない』が増えてきたら、心が少し疲れているサイン。」

この一文だけ、数日後にふと思い出してもらえたなら、それで十分だと思っています。

もし、「しかない」ができたらそこは相談のチャンスかもしれません。

人は一つに相談するよりも、複数の相談先があるほうが自立に向いているという考えを思っています。(一つだと依存だからです)

専門家でも、友人でも、公的機関でも、活用できたらいいなと思います。

 

vivreで簡単にご相談くだされば、専門家がお応えします。あなたの選択肢が増えたらいいなと思っています。

参考文献

・「仕事における心理的柔軟性とメンタルヘルスおよびパフォーマンスとの関連」認知行動療法研究
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jabctc/44/0/44_286/_article/-char/ja
・厚生労働省 こころの耳「ご家族にできること」
https://kokoro.mhlw.go.jp/families

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