
「私はギバーだから苦しい」は本当か。与えすぎる人の共通点
「私はギバーだから苦しい」と、そう感じたことはありませんか?与えること自体は悪いことではありません。しかし与えるたびに消耗するなら、そこには優しさ以外の何かが潜んでいるかもしれません。"与えすぎる人"に共通する心理的なパターンと、自分を守りながら関わるためのヒントを考えます。
「ギバー」という言葉が広がっている

SNSでは「ギバー(与える人)」「テイカー(受け取る人)」という言葉を目にする機会が増えました。人間関係に悩んだ経験がある人ほど、「自分はギバーで、相手はテイカーだった」と感じたことがあるかもしれません。
実際にカウンセリングの場面でも、こんな声をよく耳にします。
「いつも私ばかりが頑張っている気がします」
「相手のために尽くしているのに、大切にされません」
「なぜか利用されるような関係になってしまいます」
——こうした経験から「優しい人ほど損をする」「ギバーだから苦しい」という考えにたどり着くことは、決して不思議ではありません。
しかし、多くの人が悩んでいる苦しさの原因は単純に「ギバーだから」ではないかもしれません。むしろ問題となるのは、「与えること」そのものではなく、「どのように与えているか」ではないでしょうか。
与えること自体は、問題ではない
まず誤解してほしくないのは、与えること自体は決して悪いことではないということです。
誰かを助けたいという気持ちや、困っている人に手を差し伸べる姿勢は、人間関係を豊かにする大切な力です。心理学の研究においても、親切な行動や利他的な行動は幸福感や人生満足度と正の関連を示すことが報告されています。
私たちは誰かを支えることもあれば、誰かに支えられることもあります。与えることは、本来、人間関係を温かくする行為です。
問題なのは、与えることによって自分自身が疲れ切ってしまうことです。
人を助けるたびに苦しくなる。
関係を続けるほど消耗する。
——そんな状態が続いているなら、そこには優しさ以外の要素が関わっているかもしれません。
"与えすぎる人"に見られる共通点
相談を受けていると、「自分はギバーだ」と感じている人たちにはいくつかの共通点が見られます。
① 頼まれていないのに引き受けてしまう
困っていそうに見えると、すぐに手を差し伸べる人がいます。その優しさによって助かる人もいますが、相手が本当に助けを求めているとは限りません。
相手が自分で解決できる問題まで引き受けてしまうと、与える側は「これだけしているのに」と感じ、受け取る側は「頼んでいないのに」と感じることがあります。善意であっても、そこにすれ違いが生まれることは少なくありません。
② 見返りを期待している
「あれだけしてあげたのに」
「どうして分かってくれないの」
――こうした思いが繰り返されるなら、苦しさの原因は与えたことではなく、期待した反応が返ってこないことかもしれません。
感謝されたいと思うこと自体は自然な感情です。しかし、「分かってくれるはず」「大切にしてくれるはず」という期待が強くなるほど、失望も大きくなります。
③ 他人には優しいが、自分には厳しい
人には休むよう勧めるのに、自分は休めない。人には無理をしないよう伝えるのに、自分は無理を重ねてしまう。
こうした人は周囲から見ると非常に献身的ですが、その優しさは常に自分を削る形で使われています。
④ 「役に立つこと」が自分の価値になっている
心理臨床の現場でしばしば見られるのが、与えることが自己価値そのものになっている状態です。誰かの役に立っていないと落ち着かない。必要とされないと不安になる。
すると、与えることが善意だけではなく、自分の安心感を確保するための行動にもなります。その結果、疲れていてもやめられなくなってしまうのです。
「相手のため」が、実は「自分のため」になっていないか
ここで、少し立ち止まって考えてみたいことがあります。
「私はギバーです」と語る人は、本当に与えているのでしょうか。
もちろん多くの場合は純粋な善意です。しかし人間の行動は、それほど単純ではありません。私たちは誰でも「必要とされたい」「感謝されたい」「良い人だと思われたい」という気持ちを持っています。それ自体は自然なことです。
しかし、自分でも気づかないうちに、「相手のため」と思っていた行動が、「自分が安心したいから」という行動になっていることがあります。
もし与えることが自己価値そのものになっているなら、人は与えることをやめられません。
「役に立てない自分には価値がない」
――そんな感覚があると、与えることはもはや自由な選択ではなくなります。
苦しさの原因は相手だけではなく、自分自身の内側にもあるのかもしれないのです。
「親切」と「おせっかい」の違い
親切とおせっかいは、一見よく似ています。しかし両者には大きな違いがあります。
親切は相手のために行われます。
おせっかいは、自分が安心するために行われることがあります。
相手が困る前に助ける。
悩む前に答えを教える。
失敗しないよう先回りする。
——こうした行動は善意から生まれますが、相手の成長の機会を奪うこともあります。
困難を乗り越えることで、人は力をつけます。失敗や試行錯誤の機会まで取り除いてしまうと、結果として相手の力を信じていないことにもなりかねません。
心理支援や教育の現場でも、支援とは本人の代わりに生きることではありません。本人が自分の力を使えるよう支えることです。ときには「見守ること」の方が、「助けること」よりも大切な場合があります。
だからこそ、「私は何をしてあげたいか」だけでなく、**「相手は何を望んでいるか」**を考えることが重要なのです。
「断ること」は、わがままではない
与えすぎる人ほど、「断ること=わがまま」と考えがちです。
しかし、引き受けられないことを断るのは、自分を守るための健全な行動です。相手の問題をすべて背負わない。自分ができる範囲を知る。それは相手を突き放すことではなく、お互いを尊重するための境界線です。
自分を守れない人は、長い目で見ると他人を支えることも難しくなります。まずは自分自身の心と身体を満たすことが、持続可能な優しさの土台になります。
本当の「優しさ」とは何か
現実の人間関係は、SNSで語られるほど単純ではありません。私たちは与える側にも、受け取る側にもなります。
無理をしていないか。
与えることが義務になっていないか。
自分の気持ちを後回しにし続けていないか。
——まずはそこに目を向けてみることが大切です。
本当に成熟した優しさとは、自分を犠牲にすることではありません。
与えることもできる。
断ることもできる。
支えることもできる。
見守ることもできる。
——そんな柔軟さこそが、長く続く優しさなのではないでしょうか。
参考文献
https://greatergood.berkeley.edu/images/uploads/Post-AltruismHappinessHealth.pdf?utm_
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC7745759/
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC5456281/
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